それでも、多言語主義を貫き、言語の多様性と平等を宣言しているのは、アメリカによ
る「英語帝国主義」を脅威とし、長い歴史を誇る「多言語・多文化共生のヨーロッパ」を
守ろうとしているのであろう。これは「アメリカドル」の支配下に置かれることに、ヨー
ロッパの面子をかけた「ユーロ」対抗と見るむきもある。
その一方で、EU 加盟各国では、政治だけでなく、産業、商業、企業にいたるまで、事
実上の「ユーロ用語」である英語が重要な役割を占めるようになっている。それは早期外
国語教育にも大きく影響を及ぼし、これまでの小学校高学年からではなく、6 歳から第一
外国語として英語を導入しようとする動きも見える。少数言語も守るはずのヨーロッパで
あるはずが、母語まで英語にとって変わってしまうのではないかと危惧する少数言語地域
も出ている。
欧州委員会の 2005 年 11 月∼ 12 月調査報告書『ヨーロッパ人と言語(European and
their Languages)』(2006)によれば、EU 加盟 25 カ国で一番よく話されている言語の上位
は、トップが英語で 51%(うち母語話者は 13%)、次いでドイツ語 32%(うち母語話者
は 18%)、フランス語 26%(うち母語話者は 12%)と続く。EU の中ではドイツ語が最
も多い母語話者数であるにもかかわらず、外国語としての英語を日常的に話す人々が約
38%もいる。特にスウェーデンやオランダでは 9 割近い数値を見せている。
また、母語以外に、少なくても一言語は上手に話せる人が 56%、2言語は 28%、3言
語は 11%もいる。つまり、EU 社会は二言語以上話せる人がほとんどで、まさにマルチリ
ンガル社会であることがわかる。むろん、地理的な言語接触環境や、ヨーロッパ諸語とは
いえ語彙・文法等の言語的な近さ、教育制度など、国によって一様ではない。母語以外の
言語を話せる割合が低かったのは、公用語のマジャール語を話すマジャール人が国民の約
96%を占めるハンガリーと、国内のほとんどの地域で英語を公用語にしているイギリス
であった。ただし、最下位のハンガリーでも 29%である。2005 年のアメリカ調査で、二
言語を流暢に話せるアメリカ国民の比率が9%であったことに比べれば、EU の多言語主
義への挑戦(実験)が成功に向かっていることになる。
ヨーロッパの多言語主義・多文化主義の一方策である「複言語主義・複文化主義」を、
柴崎(2007)は「その人がどこに住んでいるのか、何人であるか、にこだわるのではなく、
ある一人の人間が、複数の言語の理解と使用を前提にした社会生活の諸局面のなかで、円
滑に生活を営めるための語学力を向上させていこう、という考え方である」とし、この考
え方に基づく言語教育は、言語や文化の異なる人々の国境を越えた生活や支え、対話、共存、
連携、共生を促進する、という意味で、国際文化交流の重要な意義を持っている」と述べ
ている。そしてこうした言語教育は「トランスナショナル・ランゲージ」と表現している。
市民皆が二つの外国語を習得し使用することは負担ではあるが、多言語共存社会の共通
の認識になる。EU 各国における外国語教育は、これまで以上の予算拡大措置をはからな
ければならないし、EU 全体の政策でも専門的な知識を備えた通訳・翻訳者が欠かせない