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同時代性鑑賞


同時代性鑑賞


-俳句における同時代性-


今井 聖

「街」2000年10-11月号より  



   海に出て木枯帰るところなし   山口誓子

 やはりこの句から始めます。この句を特攻隊をテーマにした句だという人達がいますが、それは社会的なテーマを掲げてそれに合うよう「現実」を構成しようという書き方の順序をとる方たちの「為にする」論議に過ぎません。
 この句が作られた戦争末期の昭和十九年、伊勢の海辺で病を養っていた誓子の暗い心境と、幼年時樺太で聞いた厳しい木枯の音がこの句の発想契機であろうと思われます。後年の、

   暗き故寒き故死ぬる海ならず   山口誓子

も同様。海の句が誓子の場合総じて暗いのは、幼年時に見た暗い荒海が背景にあるのです。
 昭和十九年という「現実」に生きる誓子がそのときの「今」を精一杯呼吸した結果が木枯の句です。自分の今を見つめることで、結果として時代が抱えるものが象徴的に投影される、それが優れた詩人の鋭敏な感性なのです。
 戦争開戦直前の十五年作の、

   蟋蟀が深き地中を覗き込む   山口誓子

も同様。この句が日本の暗い未来を象徴し得たのも、蟋蟀の実際の姿がまず的確に把握されているからです。視覚的なデッサンの確かさがあって、それがあるからこそ、次に象徴しているものが浮かび上がる。

   銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく   金子兜太

 昭和三十年前後の作品です。まだまだ花鳥諷詠が盛んな一方でいわゆる人間探求派やイデオロギーを詠う派などがあり、それらはどちらの傾向にしても視覚的現実を描くことの中での方法の違いであった時代に、兜太の書き方は衝撃的でした。
 兜太は兜太の方法で「同時代性」表出を狙ったわけです。
 兜太は「俳句の造型について」の中でこの自句を例にあげ、自分の方法について解き明かしています。同時代性ということを考える上で大きな指標となります。
 兜太は銀行に勤めていましたから、「かねがね銀行員の生活を俳句にしたい」と思っていたが一向にできなかった。その理由は、そろばんだの札束だのの素材がまず目につくが、それらをいくら豊富に取り揃えてみても、「そのなかで生活している者には誰にでもある複雑した(ママ)がらがら引っ掻きまわされたような」感じは出ない。また普段の思い「こん畜生と思うこと、妙に生き甲斐を感ずるような状態」を俳句にしようとしても、お説教になるか論理の筋道をしめす散文になるかどちらかになるような気がした。と前置きを置いて、しかしこの句で「自分および銀行の現実」を表現するコツを掴んだと述べています。そのコツの解説。
 兜太は休日に水族館を見学します。そこでは「烏賊が青白い光を体内に発光しつつ泳いでいる様子が至極印象的」でした。
 翌日銀行に出勤すると、朝からひとりひとりの行員の上に灯された蛍光灯が「深海に蛍光を発しつつたたずまう烏賊のような状態」という「感覚」をもたらします。その感覚を吟味するために自分の中の「創る自分」が活動を開始します。「創る自分」とは、感覚の衝撃を契機に「自分の意識の発掘、選鉱」をし俳句化するアタマの作業のことです。
 兜太はこのアタマの作業を論理化します。
 「自分の意識」は、堆積された「時間性をもった意識」と、瞬間的な感覚を吟味する「非時間的な意識」に分類できる。この双方を掘り起こして「自分の意識」を活発にさせると、さまざまのイメージが浮かんでくる。そのイメージがやがて俳句化するひとつの像を結ぶ。「暗い朝の店内の人達は、一人一人がわびしく蛍光を抱き、しかし魚族特有の生々した肢態で、イメージの中に定着したのでした。」
 ひとりの創作者の中の内面には、それまで生きてきて体験したさまざまの意識が積もり重なっています。
 その重層的な記憶と、或る瞬間に受ける自分固有の意識(生理的感覚といってもいい)の両者をやがてひとつにまとめる操作を、「創る自分」が引き受けるということになります。
 これが兜太の「造型論」です。
 他にひとつ、この流儀で兜太作品の鑑賞を試みてみましょう。

   きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中   兜太

 二十二年前後の作品。作者が目にしたのは乗客がデッキから溢れそうになってしがみついている超満員の列車かもしれません。その列車を見ていると、作者の中に時間的意識(戦前から戦中、戦後へ疾風怒涛のように流れゆく自分の青春の断片)と非時間的意識(満員の乗客から見えてくる哀しい戦後の現実を夜中と感受したのかもしれない)が「創る自分」によってひとつの作品としてイメージを結びます。きょお!は今日であり、悲痛な戦後日本の慟哭の声かもしれません。
 本当のところは作者しかわかりませんが、「本当のところ」は何かは問題になりません。作者が結んだイメージが読者ひとりひとりの個人的な琴線に触れるかどうかが問題なのです。そして、この句にまぎれもなく「今」を感じるかどうかが。
 兜太作品の「同時代性」は誓子作品の「同時代性」とは大きく異なっているように見えますが、個人的な「堆積する時間性を持った意識」によって支えられている作品であることは共通しています。
 「帰るところなし」は父母と別れ樺太で外祖父に育てられた誓子の孤独感が色濃く現れていると見ることができます。
 また「深き」「覗き込む」にも暗澹たる個人の内面が見えてきます。
 一方で、喧伝される作品であっても、

   玉音を理解せし者前に出よ   渡邊白泉

 終戦直後の句です。
 何々の者前に出よという軍隊でよく使われた言い方を皮肉りつつ、最高責任者としての天皇を皮肉るというわかりすぎるほどよくわかる内容です。
 兜太の言葉を借りれば、ここには白泉個人の時間的意識の堆積も、独特の非時間的意識の把握も見られません。戦後の一般的風潮というものを外側からなぞってみせた作品であるといえます。

   頭の中で白い夏野となつてゐる   高屋窓秋

 この句も有名ですが、僕は魅力がよくわかりません。「写生」とは外部のものをありのままに「写すこと」であるとする花鳥諷詠に対して、ありのままに写すなんてことは表現ではあり得ない、作品化するときに作者の主観というものがかならず働いているということを解説しつつ、この句は「客観写生」をオチョクッテ見せているだけの作品です。
 誓子、兜太を読みつつ、優れた「同時代性」というのは、かならず個人としての感慨をまず契機として立ちあがってくるものだと再確認した次第です。



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